変化できないということが最大のリスク
今日も蝉の声が激しい夏日です。
ドラマなどでは、よくミーン、ミーンと泣く、ミンミンゼミの鳴き声がよく使われますが、
自分が知っている普段のセミはクマゼミのシャン、シャン、シャン、と鳴く声ばかりですね。
ミンミンゼミのほうが風情があっていいのになと思いつつ、クマゼミの鳴き声も夏らしくて好きだなと。
さてさて。
私達は、日常は、仕事に行き、家に帰り、さまざまな繰り返しの中で生活をしています。
しかし、人生は確実に終わりの方向に向かっていて、僅かづつでも成長はしています。
そういった日常の普段の事を問いなおすということが、進化する上でとても大切なのでは無いでしょうか?
・これではダメだとは思いながら、同じことをしている。
・同じことを考える
・同じ道具を使う
・同じ場所にいる
・同じ言葉を使う
・同じ問題にぶつかり、同じ回答をする
現状維持で、同じことをしているということは、実は退化とまではいかくても、進化していないのではないだろうか。
学習をしていないということは、現状維持ということで、何も変わっていないということは、世間が進化していると
すれば、それは退化なのではないだろうか。
現状維持は、遅かれ早かれ、いずれ壁にぶつかる。
現状維持に慣れてしまっている人の多くは、壁にすらぶつかっていることに気づかないし、気づいたとしても
何も行動を起こせず、変化することができない。
確かに、現状維持は、考えることが少なく、混乱することもないので楽だ。
人は習慣の生き物なので、現状維持を好む習性がある。
しかし、この学習をしない現状維持こそ、もっとも恐れなければならないことではないだろうか。
この情報化社会では、あらゆるものが急減に変化していく。
このような中では、変化できないということが最大のリスクなのだ。
私達は、幼い頃から学校というところで、受け身で教わることを教わり、周りに合わせて行動することを教わり、
自分で考えて行動を起こすことを習わない。
毎日の生活の中で変化がない、変化できないように教育されてきている。
生きていくための力を付けるところが、本来の学校なのに、現在の教育では、生きていくための力を削ぐ教育だ。
幼い頃から教え込まれた教育を自分の中から追い出し、自分の力で考え、変化することを喜べる自分でありたい。
そういう人が増えることが、人類の進化を早めることになると思う。