自分を救うことから始める
家にいて無事でしたが、今までに見たことがないぐらいの土砂降りで、思わずビデオカメラ
を回してしまいました。
ビデオカメラに撮って何に使うのかといえば何もありません(笑)
ただ残しておきたかっただけです(笑)
ではでは、最近特に感じていることで、どなたでも持っていもいい感覚なのではないかなと思ったことを書きます。
「自分と戦う」「自分を変える」「自分に勝つ」
私はこの言葉が怠惰な自分を勤勉な自分に変えることと解釈し、とても大切なことだと思っていましたが、
もしかすると、そうではないような気がしてきました。
これまで、自分と戦い、なんとか自分を変えようと何度も挑戦してきましたが、特に何の効果も利点もなく、
逆に、自分を苦しめて、未達感覚に打ちひしがれ、疲れだけが残るという状況がありました。
では、自分と戦わず、自分を変えず、自分にしたがってみようと思い、実行してみました。
罪悪感や悲壮感が出るかなと思いきや、ところがどっこい、こちらのほうが、目的達成の効果が高く、
継続して物事が実行でき、喜びが残るではありませんか。
こういう経験は、短期間のうちに感じたことではなく、5年から8年ぐらいの期間に自分を大切にしてみようと
実践した結果でした。
実は人は、自分を大切にして、自分らしく生き、自分を中心にして生きるということが苦手なのかもしれません。
ともすると、自己中心的におちいってしまいそうですが、自立した大人であれば、そういうことは起きません。
むしろ、日本人に特有の自己犠牲という美麗に足を取られて、「自分」を徹底して犠牲にして、大切な自分らしさ
を失っているんです。
本当は、自分を変えるのではなく、「自分に付属するもの」を変えるのです。
自分と戦い、勝つのではなく、自分の欲望をしっかりと満たし、自分と戦わなくてもいいように、疲れを取ることが正解なのです。
「自分に付属するもの」とは、生まれてから身についたありとあらゆる習慣や癖や考え方や知識やルールなどです。
それらをバージョンアップさせることが自分の成長なのです。
そこをどんどんバージョンアップしていくことで、より自分が自分のままでいやすく、自分の力が発揮できるようになります。
まるで、自分が変わったように思えることがありますが、自分は全く変わっていなく、むしろもっと自分が出てくることを実感できます。
自分の欲望を満たすことは、自立した大人であれば、他人を困らせるようなことは、自分の欲望に反することぐらいは手に取るようにわかるでしょう。
自分の欲望を満たすことは、決して悪いことではなく、非常にいいことなのです。
自分の欲望を満足させることが、幸せになることでもあり、成長でき、次のステージにいけるのです。
なのに、自分と戦おうとするから、同じ道をグルグル回ってしまう。
自分の中の自分が欲望を通じて、大切なことを教えようとしてくれているのに、その自分と戦いを起こし、勝てるはずもないのに、勝とうとする。
時が経つとまた同じことが起き、同じことを繰り返す。
スポーツ選手などで、自分の限界に挑戦するという意味は、自分が作り出している壁を突破するという意味で、これも自分に付属するものを取り除く作業といえるでしょう。
このことと、自分と戦うという意味の解釈が全く違うのです。
解釈の違いだけで、行動と結果が大きく変わってくるのです。
自分の声に耳を傾け、自分の力を益々発揮できる環境づくりをし、自分を大切にする生き方。
もっと、もっと多くの人が自分を大切にして生きて欲しいと思います。