抽象的表現は毒にも薬にもなる。〜抽象的表現の訳し方〜

「自分の場所で太陽のように輝け!」

このような抽象的表現は、あらゆるところで用いられる。

人を動かすような啓蒙や励ましには、抽象的表現しか本来用いることはできない。

具体的表現では、人を励ますことはできないのだ。


例えば、「ひと月に3冊の本を読もうよ」と励まされても、特に鼓舞されることはない。

しかし、「果敢に戦う賢者のように自らの頭を耕せ!」と言われたほうが、やる気になる。

このように、具体的表現では、やる気にさせることはできないが、抽象的表現ならやる気に
させることが可能となる。


しかし、今の日本には、ここに大きな落とし穴がある。

抽象的表現は、現実には、訳さないと実行できないのだ。


「希望の道を開け!」と言われて、やる気にはなっても何をしていいかわからず、実際の行動に移せない。


実際の行動に移せないから、自分なりに感情でなんとなく、訳してしまったり、感動をして終わってしまうという

ことがおこってしまう。



これの何が問題かというと、意味の無いことに注力してしまうことが問題で、少し具体的にいうと、効果が薄く、
効率が悪いことに傾注してしまう。訳し方が間違ってしまうと、本来の励ましとは逆の方向にいってしまうこともある。



啓発力のある言葉を受けて「意味ある」「とても大事」だと思っていても、振り返ってみると何も変わっていない。


一時的なものならまだいいが、これを繰り返していくと、問題なのが「苦労グセ」がついてしまうことだ。


私自身も非常に「苦労グセ」が強かったので、取り除くにはそれこそ苦労したほうなのだが、この苦労グセ

は、どんなに楽な作業や仕事についたとしても、知らず知らずに苦労をする方向を選択しようとしてしまう。



だから、豊かな人生を歩もうと思っても歩めなくなり、イバラの道を好んで歩いてしまうことになり、豊かな人生から遠ざかることになってしまう。



今の日本には、こういう抽象的表現が溢れかえっていて、それに動かされて、不幸に陥っている人が多い。


抽象的表現は、薬にも毒にもなることを知る必要がある。


しかも、発信する側ではなくて、受け取る側が対策をしなくてはいけない問題なのだ。



抽象的表現を訳すには、まず自分の言葉で言い換えてみることにある。

「希望の道を開け!」とあったら、「ん?希望ってなに?」と自分に問い直し「なるほど、ワクワクか」
とか「楽しみか」とか「ドキドキすることかぁ」など自分が一番ピンとくる表現に言い換えてみることだ。

その次は、「具体化」。具体的にするコツは、自分の目標からの逆算が一番効果が高く、効率もいい。


例えば、上記トップの

「自分の場所で太陽のように輝け!」


という言葉を受けたら、自分の近々の目標が「新しい友人5人作る」というものなら「よし!今月は3回飲み会や
勉強会を開こう」と訳す。


それが自分にとって「太陽のように輝いている」ことになる。


このように訳していかないと、苦労グセが付き、不幸になる道から外れることはできない。



抽象的表現は自分が落ち込んでいるときには、有効だが、落ち込んでもなく、もっとプラスのことをしたい時には

役にたたず、具体的なことが役に立つ。



言い方を変えると、マイナスからゼロにするときには、抽象的表現で。ゼロからプラスは、具体的表現が必要なのだ。